大会開催趣旨
昨年の横須賀おっぱま大会に続く第27回戦争遺跡保存全国シンポジウムを福岡県北九州市八幡東区で開催します。
1963(昭和38)年、門司・小倉・若松・八幡・戸畑の旧五市が対等合併を行い、北九州市が誕生し八幡区となりました。その後、人口増に八幡区は、現在は八幡東区と八幡西区になっています。
1897(明治30)年2月、官営製鐵所の建設地が八幡に決定されると、町も大きく変貌し、1917(大正6)年に八幡市が誕生し、製鐵所も工場拡張を繰り返し、1922(大正11)年に完成した二代目本事務所の1階には陸軍、2階には海軍の事務所が設けられました。
太平洋戦争開戦後の1942(昭和17)年4月には、八幡製鐵所は「重要事業場労務管理令」による「重要事業場」に指定され、鉄鋼生産は、国内生産量の約半分を産出していました。
アメリカは、最初の戦略爆撃機B-29による空襲目標を八幡製鐵所とし、1944(昭和19)年6月15日中国成都から出撃させました。そして、翌年8月8日には、B-29による市街地を目標とした焼夷弾爆撃により、死傷者は約2,500人、罹災戸数約1万4000戸と壊滅的な被害を受け、見渡す限り焦土と化しました。
戦後は、「燃えない都市」造りを進めると共に、「心の復興」に重きを置いた施策が都市計画の中に位置づけました。そして、日本初の「都市型公民館」建設等市民の心に寄り添い、復興を象徴するシンボル「平和の女神像」を中心とした八幡駅前の景観を整備しました。
北九州市は、2022(令和4)年4月戦争の悲惨さを伝えるとともに、平和の大切さや命の尊さを考える拠点として「北九州市平和のまちミュージアム」を開設しました。同館では、1945(昭和20)年の八幡大空襲、翌日の原爆を搭載した爆撃機が小倉上空を飛来した後、長崎に向かった出来事を追体験できる360度シアターを設置しています。
また市内には、関門海峡防備の為、明治期に設置された矢筈山堡塁など下関要塞の施設が、良好な状態で残されています。加えて、太平洋戦争中は、製鐵所等の軍需工場を守るため、重要な防空要地に指定され、多くの高射砲部隊が配置され、若松区の石峰山高射砲陣地など島や山中に設置された施設が数多く残存しています。
戦争遺跡保存全国シンポジウム開催を機に、これらの戦争遺跡の保存と活用の機運が高まることを願っています 。
主 催
戦争遺跡保存全国ネットワーク
第27回戦争遺跡保存全国シンポジウム北九州やはた大会実行委員会
九州国際大学地域づくりコース[三輪ゼミ] 九州近現代考古談話会 聞き書きボランテイア「平野塾」
特定非営利活動法人北九州市の文化財を守る会 オブザーバー/重信幸彦(北九州市平和のまちミュージアム館長)
実行委員長 九州国際大学地域づくりコース[三輪ゼミ] 三輪 仁
副実行委員長 九州近現代考古学談話会会長 武末 純一(福岡大学名誉教授)
事務局長 特定非営利活動法人北九州市の文化財を守る会理事長 宇野 愼敏
事務局長補佐 関川 妥
会 計 特定非営利活動法人北九州市の文化財を守る会前理事長 前薗 廣幸
監 査 聞き書きボランテイア「平野塾」副代表 出口敬子
後 援
北九州市 北九州市教育委員会 福岡県 福岡県教育委員会 九州国際大学
朝日新聞社 毎日新聞社 西日本新聞社 読売新聞西部本社 RKB毎日放送 KBC テレビ西日本 株式会社ジェイコム九州
協 賛
(公財)北九州観光コンベンション協会
問合せ
実行委員会事務局 電話・FAX 093-661-8688
メール eirakuan2@jcom.home.ne.jp
住所 北九州市八幡東区西台良町10-33 前薗方