八幡大空襲

 旧八幡市は、1944(昭和19)年6月15日中国成都から出撃したB-29による日本本土初の空襲以来、7月8日、8月20日、そして翌8月8日と4回の空襲を受けている。特に、最後の空襲では、市街地を目標とした焼夷弾爆撃により、死傷者は約2,400人、罹災戸数約1万4000戸と壊滅的な被害を受け、見渡す限り焦土と化した。

1945(昭和20)年8月8日八幡大空襲前/建物疎開後
八幡大空襲後[1947(昭和22)年]/白い部分が空襲被災地
旧八幡市作成の戦災図
中央町/右奥の建物は丸物百貨店
中央町/戦災後に片付けする女学生
中央町/奥は八幡製鉄所
枝光地区
平野地区/奥に製鐵病院の診療所
尾倉地区/右の建物は尾倉小学校
尾倉地区の電車通り
製鐵所構内の被災地
前田地区の製鐵所従業員社宅
尾倉地区/奥は、八幡製鐵所、洞海湾、石峰山