会場への案内

JR八幡駅から会場(九州国際大学)まで、及び周辺案内

JR八幡駅から会場(九州国際大学)まで徒歩約8分。西鉄バス「九州国際大学入口」「平野一丁目」「祇園三丁目」のいずれかで下車し、徒歩1分。

 八幡駅から会場までの途中には、新旧様々なものや跡があります。時間のある方は、散策されてみてください。


周辺施設等の紹介

八幡駅/戦後復興で、民衆駅として1955(昭和30)年に移転開業しました。

戦時中の車内状況 駅前広場の朝鮮民主主義人民共和国帰国記念植樹碑
改築前の八幡駅
現在の八幡駅

 

昭和30年代の八幡駅/駅の裏に製鐵所の煙突と煙

村野藤吾設計の建造物群/佐賀県唐津市生まれ。福岡県遠賀郡八幡村で育つ。1910(明治43)年、小倉工業学校機械科を卒業後、八幡製鐵所に入社。1913(大正2)年、早稲田大学大学部理工科電気工学科に入学、1915(大正4)年同大建築学科へ転学し27歳で卒業。1918(大正7)年、渡辺節建築事務所に入所。日本興業銀行本店、ダイビル本館、綿業会館等の設計に携わった。1929(昭和4)年、建築事務所を退所し、村野建築事務所を開設。1949(昭和24)年、村野・森建築事務所に改称。1955(昭和30)年、日本芸術院会員。1967(昭和42)年、文化勲章受章。日本芸術院賞、日本建築学会賞など受賞多数。

福岡ひびき信用金庫本店
旧八幡市民会館
現在、外観を残し埋蔵文化財センターへ改築中
市立八幡図書館(解体済)
市立八幡図書館記念碑
開館時の八幡市民会館
市民会館建設中の村野現場事務所

小伊藤山防空壕犠牲者の慰霊塔/1945(昭和20)年8月8日の八幡大空襲によって、小伊藤山の防空壕に避難していた300人近い方々が亡くなられ、その霊を慰めるため、1952(昭和27)年に建てられた慰霊塔。

小伊藤山公園内の慰霊塔
慰霊塔建立碑
八幡大空襲後の小伊藤山(奥の丘)
戦災復興により切取り中の小伊藤山

復興平和記念/1953(昭和28)年5月3日、八幡の戦災復興と世界の平和を祈念して、彫刻家樽谷清太郎氏によるブロンズ像が設置されている。

平和記念像

記念像建立碑
記念像建設前
記念像建設後

都市型公民館発祥の地/旧八幡市公民館は、1953(昭和28)年開館。


都市型公民館発祥の地碑
八幡市公民館、後に中央公民館
公民館右に建設中の美術展示室
公民館玄関
公民館奥の婦人会館
奥が建設中の八幡市民会館
平和記念像を中心とする戦後復興施設

鉄鋼彫刻群/
ダン・ガマー
 アメリカ人の彫刻家。夫人は、アカデミー主演女優賞等を受賞した大女優メリル・ストリープさん。1993(平成5)年7月30日の除幕式には、夫妻そろって参加された。
フィリップ・キング
 1934(昭和9)年にチュニジア共和国生まれ。ケンブリッジ大学に入学後セント・マーチン美術学校で彫刻を学び、ヘンリー・ムーアの助手となる。1960年代にはイングランドで起こった新たな芸術ニュー・ジェネレーション・スカルプチュアの中心人物として活躍。
高橋 秀
 1930(昭和5)年広島県福山市生まれ。元独立美術協会会員、倉敷芸術科学大学名誉教授、文化功労者。
国際鉄鋼彫刻シンポジウム
 1987(昭和62)年、鐵の町の技術力を活かし「国際鉄鋼彫刻シンポジウムYahata'87」が八幡製鐵所構内の遊休地で開催され、その目玉作品として重量83tの「牡牛座の月」が制作された。

ハウス・オブ・ミュージック/ダン・ガマー作 1993(平成5)年
リユニオン/ダン・ガマー作 1993(平成5)年
牡牛座の月/フィリップ・キング作 1987(昭和62)年
浮上計画/高橋秀作 1987(昭和62)年
牡牛座の月除幕式/ 1989(昭和64)年

浮上計画設置除幕式/ 1987(昭和62)年1月、第二代北九州市長谷伍平氏除幕
鉄冷えの中、市の再建を願って浮上計画と名付けられた、谷市政最後の仕事

旧百三十銀行ギャラリー/日本近代建築の先駆者、辰野金吾の主宰する辰野・片岡設計事務所の設計で、1915(大正4)年に建てられた鉄筋コンクリート造りの銀行。

現在の旧百三十銀行ギャラリー
戦災復興により曳家工事中の旧百三十銀行
八幡大空襲後の旧百三十銀行(左奥)
昭和初期の旧百三十銀行

八幡製鐵所の南門/1901(明治34)年操業開始の官営八幡製鉄所には、工場内に入る四つの門(東・西・南・北)があった。その内の一つが南門で、戦時中は有営館に収容されていた俘虜も、この門を通り、構内作業に使役させられていた。その様子は、1943(昭和18)年10月に公開された東宝映画「熱風」に映されている。同映画は、山本薩夫監督が、製鐵所施設の実物を使って長期ロケで卒営されたもので、藤田進、原節子など往年のスターが出演した国策映画です。

現在の南門
昭和30年代の南門

旧電車通り/1911(明治44)年、九州電気軌道が門司から黒崎まで市内電車を開通。国際貿易港として栄えていた門司、旧城下町で商業の中心地小倉、八幡製鐵所が立地する工業都市八幡など北九州地区の主要都市を連絡した。2000(平成12)年、廃止となる。

現在の電車通り
西鉄電車
八幡大空襲後の電車通り
占領軍専用電車

赤煉瓦橋梁/1891(明治24)年、九州鉄道が、門司から久留米手前まで開通させた九州初の鉄道橋梁。

赤煉瓦橋梁の北側 赤煉瓦橋梁の南側
将来の複線化に備えて下駄歯構造となっている
明治30年頃の赤煉瓦橋梁